もしも炎上するなら

 私が記事に取り上げると炎上しないことが多い(さすがに三菱は無理だったが)ので、もしも炎上するならどういうことを検討することになるのか、ということを試す意味でとりあえず2件の不祥事について書いてみる。
 ものとしては、
セブンイレブンに「食べかけケーキ」販売問題 (1/17 日本経済新聞)
<セブン加盟店>バイト病欠で罰金 女子高生から9350円 (1/31 Yahoo Japanニュース)
である。

 まず、上側。
 一般的に目が行くのは、当然消費者である立場からすれば、商品として成立しないはずのものが消費者の手に渡ることをいかに防ぐかという食の安全としての問題として分類されてしまうように思う。
 確かに、その側面も大きいし非常に重要なことなのだが、それ以外の部分で炎上に結びつく事項が含まれているように感じた。
 それは、他の記事等を流し読みすると、コンビに店長側が『「報道各社に言いたければ、どうぞ言ってください、気持ちが晴れるのであれば」といった発言』をしたといったような内容があったことによる。
 そして、こういった現象も昨今の小売現場における不当な要求への対応といったレベルで扱われてしまうのかもしれない。
 しかしながら、今回の件において不当な要求への対応で処理して事態が好転すると一概に考えてよいものかどうか、という気がする。
 こういった現象のカテゴライズが正しくないとまではいえないまでも適切ではない可能性が高いところで適用してしまうところに問題はなかっただろうか、というように思えた。

 こういった、カテゴライズという行為において、直感といったものも含めて、現象の抽象化、パラメータの抽出、既存のモデルとの比較といったフローが成り立つと思われる。(直感でも無意識下で機能する場合もあれば各プロセスが全く正しく機能せずに先に進んだものとして考えれば成り立つかと)
 これらのプロセスにおいて、それなりにバイアスがかかってしまうのは、仕方がないことだとは思う。
 こういった記述式の場面でよく引き合いに出される偏食的性向ともいうべき確証バイアスといった認知バイアスもあると思うし、それゆえ自らの規定した結論に整合性の高い現象の抽象化も行うだろうし、既存モデルとの整合性の基準もそれに合わせてねじ曲げられるだろうと思う。
 ただ、何となくではあるが、それ以外にもサンプリングのバイアス(標本数が少なすぎること)といった選択バイアスがかかっているように思う。
 非常に悪意をもった表現をするなら、自己の中で何らかの判断を行う上で、認知バイアス以前に認知する受容器官、チャネルが貧困、少なすぎるために判断する者において有用な情報が少なすぎるということが問題なのではないか、という気がする。

 過去の記事で扱ったことのある某弁護士が提唱する「問題の単純化」というのは、いわゆる現象をねじ曲げて抽象化する際の問題点を指摘しているように思う。
 ただ、「問題の単純化」に至る理由を「画像・映像・イメージによる単純化」と「言葉による単純化」の2つに大別されるとしているのだが、前者は映像の鮮烈さや繰り返しによって感情が強化されることであり、後者は、「言葉による」というざっくりした表現ではあるが、その解説を読む限り、とある行為、状態、現象、プロセス、システム全体などに対してラベリングといったいわばキャッチコピーが付されることにより情報伝達が加速するという現象のうち、そのキャッチコピーと現実との齟齬が問題となるという部分のみを切り取ったもののように思う。
 これとは異なり、判断を必要としないマニュアル的な事項を外れる感情的、心理的な判断(先のフローからすれば一部表面的であっても論理的部分もあるかもしれないが)において、判断を行う判断基準、規範といったものの適用範囲が広すぎたり現状とその基準、規範へのあてはめといった行為における抽象化、概念化、カテゴライズといった領域でざっくりし過ぎているというプロセスでもって情報の過度な脱落をもたらすのもある意味「単純化」と定義していいようには思う。
 例えば、今回の件に関して他の記事(実はおおもとのソースがどこかわからない)の具体的やりとりが正しいとするなら、当該店長が『「報道各社に言いたければ、どうぞ言ってください、気持ちが晴れるのであれば」といった発言』等をしたことにおいて、昨今の食品における異物混入や様々な不祥事に関するネットへの一消費者からのリークと単純な末端小売における商品の苦情といった広範囲な事象をいっしょくたにして過度な苦情といった「不当な要求」としてカテゴライズしてしまったがゆえの発言であったのではないかと思う。
 ただ、この現場においていえば、本部の方針を正しく理解し、相手に正しい意図を咀嚼した上で伝え共有し、穏便に事態を収拾することを目的とした事象のカテゴライズが図られるべきなのだろが、そのための情報(先で言うバイアスでいえば標本)が当該店長に足りなかったかもしくは存在しなかったということに問題があったのではなかろうか、という気がする。

 実際のところ、現代における様々なシステムはマニュアルや自動化といった認知や詳細な理解が不要となるように調製されているのだが、必ずしもすべての例外処理に同様なマニュアルが整備されているわけでもなく、そういった事象において何らかの行動を選択しなければならないとするなら、その認知や詳細な理解がなければならないと思われる。
 また、先のサンプリングのバイアスがコンビニオーナーの多種多様な経験を持つがゆえの様々なサンプリングのレベルを一定水準にまで引き上げるために、多数のサンプリングの蓄積から編み出されたマニュアルからの援用が可能な領域(あくまで援用であって適用ではないところも難しいところだとは思うが)も多く、単純にカネを循環させるための店舗運営というレベルでは認知や詳細な理解が不要であるかもしれないが、維持という観点からすれば、その優先順位はあるにしても少なくともオーナーレベルであれば認知や詳細な理解がなければ援用もできないということもあろうかと思われる。
 少なくとも先の店長の発言が本部の指示(もしくは規定されたとおり)であったとは思えないのだが、結局他者の論理的考察、判断に伴う結果が適切なエラー処理が施されない設定されたシステム外の例外的なプロセスとして当該店長にまで伝達された際に、本意の理解が本来本部が導き出した回答と乖離、もしくはひどい場合は反転している可能性もなくはない。
 何十年も昔は、浅慮過ぎるとか少しは考えて行動しろとかで解決できると思われていた節もなくはない(まぁ、わたしもそうボスにしかられたものだが)のだが、こうも複雑化し、細分化し、規定されたシステムによって担保すること以外のそれによらない人的な相互補完が失われてきたことを考えれば、単純に当該本人(ここでは店長)が考えようにも考えられないし、それゆえ企業全体として正しい判断、行動を現場で下せないのは致し方ないのかもしれない。
 はたして、今後の企業のあり方として、そういった品質を担保、維持するためのあらたな行動計画を策定し実行していくのか、過剰品質であるとして切り落としていくのか注目していいところかもしれないし、結果的に消費者側も何らかの変化を迫られるのかもしれない。
 ただ、現状として、供給者側が一意的に消費者の思考形態や志向性を定義もしくは規定し、一般小売を運用することは非常に難しいことからすれば、消費者側の全体意思といったような概念における規範といったものに近づけていかざるを得ないのではないかと思うのだが。

 まぁ、それにしても私自身が店長の立場だったら自責の念にさいなまれすぎてあっちの世界に行きたくなると思うのだが、逆に言えば、そういうようなメンタルの持ち主では店長など務まらないのだろうとも思う。
 くわばら、くわばら。

 次、下側。
 こちら側は、『「加盟店の法令に対する認識不足で申し訳ない」と話した。「労働者に対して減給の制裁を定める場合、減給は1回の額が平均賃金の1日分の半額を超え、総額が賃金総額の10分の1を超えてはならない」と定めた労基法91条(制裁規定の制限)に違反すると判断した』という「法令の認知不足」に帰結させようとしているっぽい。
 フランチャイザーと加盟店との法令違反に関する帰属というものが、法的、道義的含めどうなっているのかはよく分からないが、当該事案に関して同条の『労働者に対して減給の制裁を定める場合』の前の意図的なのかどうか分からないが省略してしまっている部分の『就業規則で、』というのをどう判断するのかよくわからない。
 労働法制に明るくないので分からないことだらけだが、同様な減給が継続的に行われていた場合、労働基準法でいう「制裁」に該当するのであれば、(いや、そもそも91条を出している時点で「制裁」だといっているのだろうが、ここではあえて婉曲的に)89条9項で明示する必要がある事項として扱われる事項であるため、当該加盟店のみの問題なのか、就業規則やそれに準じる雛型のようなものに明示されているなら加盟店全体の問題なのか分からない。
 給与明細に制裁金として印字されているならば給与処理のシステムとして明らかな本部の落ち度、クロだとは思われるが、今回の事案では、写真を見る限り、就業日数を減ずることでそれを達成しているため、はたして「制裁」にあたるのかどうかが疑わしい気もするが、ご丁寧に付箋で「ペナルティ」と手書きしている関係上、本部も「制裁」との認知として法的に扱えると踏んだのかもしれない。
 実際、「ペナルティ」との記載がなければ、単なる未払い給与の返還という話にカテゴライズされるだけで、逆にこっちの方が労働者側が証明するのが大変(タイムカードをコピーしてないと証拠にならないとかそういう次元だが)なのだが、なぜそうしなかったのか、というところにも踏みこまなければならない問題なのかもしれない。

 ただ、この件で思いあたったのは、間違えた体育会系的発想のできなかったら腕立て10回ってレベルのペナの発想というよりは、もっと謎理論に基づく発想があったりしないかなぁ、というところである。
 昨今、コンビニでの瞬間的季節商品の販売ノルマがバイトに課せられる問題に関して、昔知人から聞いた話なのだが、オーナーが語ったノルマを課す(達成できなかったら買い取る)理由が、「俺も経費自分持ちしてるんだからおまえらもやれよ」だったらしく、あまりの謎理論にバカバカしくなって、バイトを止めたというのがあった。
 実のところ、先の発言だけを切り取ってみると、自爆営業的ノルマをみんなで分け合おうという話に聞こえるのだが、どうも「経費」というだけあって個人事業主としての納税にかかる「経費」を乗せられていないことに腹がたっていたというノルマと全く関係ない結びつけであったらしく、それをもって「謎理論」ということになったようである。
 多分、誰も今回の件で突っ込んで深入りする者などいないとは思うが、コンビにオーナーはあくまで個人事業主なので確定申告なりを行う必要がある。
 そしてその書類や資料の関係でそれなりにぐだぐだしたものがあるわけで、今はどうかは知らないが、当時は本部が提供するシステムだとその店舗独自の経費などを計上しにくかったらしい。
 昨今の販売ノルマの件がどのような理由付けがなされているのかはわからないが、「謎理論」を展開した店長は、ぶっちゃけてしまえば、自分が持ち出した分を誰かに転嫁しますよ、そうしないと俺の気が治まらないぜ、という宣言に他ならない。
 日本の労働法制を何も労働基準法を読み解くことから始めなくともノーワーク・ノーペイの原則といったものは一般生活レベルでも体感できると思われる。
 また、ここから考えて、例えば、ワーク&ノーペイだとかノーワーク&ペイといった考え方が「ちょっとおかしいんじゃない?」という疑問をもってもいいはずではあるが、それがかき消されるほど別の金銭問題に目がくらんでいるという現状をもってモラルハザードがひきおこされているのだろうか、などと考えたりした。
 こういった企業倫理の問題に起因する不祥事は枚挙に暇がないが、フランチャイズ形式の事業構造だとその問題は一段と複雑なものになり、また、末節の一店舗のみに目を向けると、自身の判断として行き届いているのかいないのか相対的な位置付けが理解しにくく、また理解する動機付けも薄いように思う。
 セブンイレブンではないが、コンビニのオーナーの知り合いが「この前法務と税務の勉強会に行ってて店に出てなかったのよ」的な話をすると、それが本部主催のものかどうかは分からないが、人によってはそういった面に目を向ける状況も生まれているのだろうとは思うが、それが全てに行き渡るのは、なかなか容易なことではないと思われる。

 で、2件全体として。
 非常に悪意をもった作為的考え方であると先に断った上での話ではあるが、カリスマからの禅譲が穏便かどうかに関わらず、かならず何らかのほころびを呈するということだろうか。
 そういった不利益や不祥事、事故の確率があたかも上がったように感じる理由やシステムがどういうものなのかは私には全く想像もつかないのだが、実際、企業にいるときでも、社長が交代して会社自体の毛色が変化する時期は、やはり問題(継続案件が理由不明のまま切られたり、トップ直轄案件の問題点が解決されずにそのまま引き延ばされていたりとか)が発生していたと思うし、たとえそれが認知バイアスに起因するとしても、それでなくても他の用事が多い時期において、あるよりないに越したことはないように思う。
 同様なカテゴリとして、例えばファーストリテイリングや大塚家具の社長交代においては、業績低迷という数値的に目に見える形として顕在化したために分かりやすかったが、今回の事例がそういった状況を最小限に留めた成果なのか、静かに進行している前兆に過ぎないのかは、近い将来判明することなのだろうと思う。

 と、とりあえず、私が書けば事態が悪くならないっぽいので、書いてみた。