俗にいう1話だけ見

 前期が「ガヴドロ」と「デミ」しか見終わっていないのに今期の1話見を始めたせいで、確実に「だけ」になりそう。
 なので、とりあえず、早々にツッコミだけ入れて逃げたいと想う。(といってももう4月4週目なんだけどな・・・)
 あ、あと前期は限定公開らしい「ようじょしぇんき」だけは見終わったけど。



 まず、簡単に書き終わるところから順に。

 ゼロから始める魔法の書
 上手く説明できないのだが、獣堕ちの主人公のビジュアルに違和感が。
 キービジュアルの段階で何とも思わなかったので、動くとダメなのか、何なのかよく分からない。
 監督のこれまでの作品とか発言とかから考えると、とにかく絵が(+で)作りこめてしまう人っぽいので、想像すら無理っぽいのだが、まぁ、いいや。
 あと、同様に先のちゃんと表現できるのと、多分、それなりにカネが出ているっぽい(25周年記念だから?)ためか、キャラ表情アップで逃げることをあまりやってないこともあるのか、キャラモノという観点からの見方をすると少し物足りなさを感じたりはするが、それはそれ、単に私が毒されているだけともいえなくはない。

 クロックワーク・プラネット
 悪い、というわけではないけど、PVの構成からして「ガリナン」の作中作的扱いをされても文句が言えなさそうな気はする。(原作イラストに目線を持って行かせようとしているあたりとか)
 いや、本当に別にいいんだけど。
 とはいえ、多分、まとめて見始めると次第に慣れてきそうではある。
 というか、ED以外を3回ぐらいリピートで流し見していたら、もう慣れた。
 そういうもんか。
 なんにせよ、3DCGに気合いを入れすぎている上にOLM始めゲームで見ることの多い企業まで入ってある程度分業しているっぽいのにそれでいてちゃんと整合が取れているのとの落差に目が行く過剰反応が消えれば何とかなる、ということなんかなぁ。

 フレームアームズ・ガール
 武装神姫じゃん!って言ったらモデラー(ほぼ撮影厨)に叱られたんだが。
 ビルドって言ってたら滅殺されてたな、きっと。
 作品の話と全く関係ないけど。

 サクラクエスト
 今後どうなるかとかではなく、設定の話。
 多分、若い人にはほぼ理解不能なミニ独立国的な表現でひとくくりにされる事例がベースなのだが。(多分、今後の展開とは関係なさそうだけども)
 ミニ独立国というものが、昨今の政策的に推進されるなかで生成される具体的事象、事物、手法などではなく、それぞれが悪くいえば勝手に先行事例を模倣して、よく言えば自主独立的に行った行為という意味で成立過程等を含めイメージしにくいかもしれない。
 作中でふるさと創生(社会科などでは1億ばらまきとか金塊とかがキーワードになっているかもしれない)の話も出るが、実際、ミニ独立国のブームはもっと前になる。
 ただの社会科の話ではあるが、基本的にミニ独立国のベースとなっている考え方は、小説・・・、というのはおいておいて、当時の物言う地方自治体の首長たちが「地方の時代」を提唱し、高度成長期に連なる新たな潮流と構造変化を見据えたところにあるわけで、昨今の「干上がった地方をどうにかしよう」というものではない(とはいえ、「地方の時代」という概念は大規模な都市、都市圏に限られていたことも考慮すべきではあるが)ところが、これまた現在から想像するのが難しいところかとは思う。
 とはいえ、ミニ独立国のブームは一過性だったといわれることも多いが、それでもそれなりの期間運営され、ググってみても未だに細々ながらも存続しているところもあるわけで、ブームに乗って設立し、ふるさと創生でハコモノにカネを投入した、という考え方をすると、設定年表的に深みは増すというか、ちゃんと取材してから組み立てている、ということかもしれない。(説明がないので分からないが)
 ただ、無駄なリアリティを追求するとして、なかなか難しいところではあるが、およそミニ独立国は、先のような時代背景とその設立プロセスから総合的で、ある意味網羅的イメージ(一応「国」なので)を持たせる地域作りの一貫として1)地域コミュニティの再定義と活発化、2)1)の広報を通じて地域作りの意識、関心を高めること、3)2)とも関連するが、地域集客、新たな観光地化、地域産品の売上向上、を主な目的として、組織体として民主導、自治体主導、半官半民に分けられる。
 作中のカブラ王国は、地元の観光協会という多分官側だと思われる組織のキャラがメインで登場していること、商店会と折り合いがよくないというところからして、半官半民ではなさそう(設立時はそうではなかったが云々という設定がぶっこまれれば変わるかもしれない)なところからすると、自治体主導かと思われる。
 また、間野山が観光地として機能していたことがうかがえるため、多分目的は3)だろうと思われる。
 一般的にミニ独立国の盛衰は地域活性化などを生業とする者から話を昔聞いたのを大雑把に書くと、1)〜3)に類する目的で設立し、それを継続的に主導する人、組織を育成し、何らかのイベントを行って効果を検証し、ハコモノを整備してさらに効果を求め活動し、当初の目的が達成されて別なものに引き継がれるかどこかでそのループが回らなくなって解散する、という流れらしい。
 ふるさと創生が1988年か1989年なので、具体的な数字を出すことは可能だとして、設立がこれに近い場合は別として、ミニ独立国設立のブームに乗っていた場合、そこそこハコモノを作るあたりまでは成功していて、さらにハコモノができて以降、10万人記念となるのは主人公の年齢から逆算した大体2000年付近のため、はたしてそのイベントが消えかけのろうそくのような状態での開催だったのかどうかはわからない(ただ、写真に写るスタッフ数からすると無理やりそろえないかぎり難しい気はするが)が、経営という意味で問題はなかった(ただ、平均年入場者が1万人で回るのかどうかは別)のかもしれないとすると、ミニ独立国の中ではそこそこの成功事例といえるのかもしれない。
 逆にそういった実態であったがゆえにほとんどどうしようもないような状態に陥ってさえ有権者から三行半を突きつけられてはいなかった、と考えられなくはない。
 のだが、かなり考え方が甘い気がしてならないわけで、後付けで何か設定か追加されるのかなぁ、とか思ったりする。
 それにしても、オリーブ王国とかサンテラス共和国とかどうなったんやろ。
 ユニーさぁーん・・・・。
 あと、耳が腐っているらしく「今回は、かな恵先生押さえ気味やんなぁ」とか思ってたので、言われる前にさっさと耳鼻科行きます。

 アリスと蔵六
 冒頭でいきなり苦笑してしまった研究所の表札。
 国内において縦書きで「○○日本法人」と書いてるところはまず見たことない。
 さらにいえば、国内に製薬会社が日本法人を置いているところのほとんどが大手ばかりであるところからしてCIの観点からリアリティが薄い。
 一応「K&C製薬日本法人−−−」と原作に記載があるが、少なくとも現業が国内に存在する法人名、商号を「K&C製薬日本法人」とするとは思えないわけで、K&C製薬の日本法人のことですよ、という意味での表記だと思われる。
 これは、いわゆる、
A:私は山田です。
B:じゃあ、親愛を込めて「ですちゃん」って呼んでいいかな?
という初歩的なボケネタとして成立していると考えていいのだろうか、とか思ったりした。
 で、真面目な話、原作のビジュアル設定でいうと、正門での表記は「Kreis & Clarke JAPAN」下側が「クライス&クラーク日本 静岡研究所」という横書き表記で、あまり原作のビジュアルを重視していない(というか美術かフロップデザインかのどっちかあたりの軽視?)んだろうなぁ、という気がした。(「軽視?」としたのは、少なくともフロップデザインと第1話の総作監が藤井氏だからという勝手判断による)
 日本法人というのが商号に使えるのかどうかは登記関係の仕事をしているわけではないので分からない(商号調査とか有料だし)が、社名の末尾に日本法人とか(日本法人)となっているのは、現地法人名と本国の法人名が定款上競合するために区別したり、また、具体的にどっちの法人を指すのか示したい場合(例えば、就活でグーグル株式会社にスポットを当てた場合、「グーグル日本法人」という言い方をするようなもの)に用いられることが多いが、どうでもいい。
 それよりも、原作に「(株)」とかがないのはなぜか、というのを具体的な組織的行動とその組織体の位置付けから考えると深読みもできなくはないなぁ、とか考えていたところにこれがぶっこまれたので、明後日の方向過ぎてどうなんやろね、とか思ったりした。
 青島ビールとか結構真面目に再現されている(とはいえ、権利の関係からか名前やラベルは出てこない)んだが、そういった再現度の落差がひどいかなぁ、とか。
 まぁ、別にビンの色だけ一致しているというレベルなので、いやいや、ハートランドでした、クラウスターラーでした、モルソンゴールデンでしたとか言われてもぐうの音もでなくはあるが。
 コンビニのシーン。
 米食えって話は作画の面倒臭さからカットされたのかもしれないが、少なくとも原作で紗名が「お前もしかしてあのとき私に話かけたやつか」に「あのとき」を強調表示までしている箇所は、紗名が紗名として成立するための重要な構成要素の1つであることを示唆するものであると思うので、なぜそれを外したのか不思議に思う。
 およそ、あのシーンでは紗名と蔵六の会話がかみ合わないという表面的な話が重要なのではなく(一応、それだけでもキャッチーではあるかも知れないが)、そのかみ合わなさが、紗名と蔵六の成立した経緯が異なる(当然、紗名が特異なものとして扱われる)ことによる自が他を認知する何らかのプロセスの違いがあることに関する伏線のようなものであると思うからである。
 とはいえ、その後の整合性(といっても途中までしか原作読んでないので確かではないが)を考えれば、別にないと成立しないわけでもないはずなので、「ようなもの」ではあるわけだが。
 ただ、当該条件での遭遇に際し、「会ったことがある」かどうかをという観点から判断するのは原作でそうであるように蔵六側の属性の者が認知するものであって、紗名がそう言ってしまうと、会話がかみ合わない意味が、単に頭がおかしいからかみ合っていないだけということにしかならない気はする。
 とはいえ、アニメ側では、力が弱ってきているからさっきのヤツ(蔵六)で我慢するしかない、的なセリフを紗名に吐かせていることで、力を使って身辺調査をして問題なさそうなヤツをパトロンにしようとしたという下世話な表現で示すことが可能な一般的なヒトにおける生存に対する行動原理を当てはめることで、その行動の意味自体は理解しやすくなっているかも知れないが、そう考えてしまうと、すでに作品世界、設定を根本的に捻じ曲げてしまうため、あまりいい手法ではなかったのではないかと思う。
 原作を読んだときのイメージというのは人それぞれで、解釈もいろいろあっていいとは思うが、個人的にかなり昔に読んで結構忘れた状態(今回改めて再度人んちで読ませてもらった)でさえ、「えっ!紗名がそういうの?」と驚いたわけで、私の中では、ある意味かなめとなっている部分だったようである。
 まぁ、結構改変しているみたいなので、そもそもそんな考え方をしなければならない部分はすべて捨ててくるのか、表面的な流れを追ってところどころ不条理でもまぁええやん的な方向性で行くのか分からないが、いずれにせよそういった部分はそれっぽい仕上がりになるんだろうとは思う。
 3DCG。
 全体的に質量感というかモノに重みがあることを感じさせない動きで違和感がある。
 多分、モデリングはできていても、モーションがここからこう動く、程度の精度ではアクションシーンなどの映像としての演出にならないと、以前何かのスタッフインタビューか何かで読んだ気がするが、それがそのままかなぁ、と。
 あと、見ていてどうなっているのかが分かりやすいが、字コンテで示す内容をそのまま分かりやすく3D表示しました的な業務マニュアルっぽいカットが多い(いいように捉えると、何をやっているのかがとても分かりやすいという意味で親切)のも、アクション作監とかアクションに長けた演出はいなかったのだろうか、それともそんなところに割くカネが全くなかったのかよく分からない。
 あと、演出なのかどうか分からないが、能力を使った際のモーションが全体的にタメがないみたいな感じで(タメという表現がいいのかどうかアレだが)、落下するのに動きが無重力っぽく、これもあまり質量を感じない。
 とはいえ、実際の物理法則に当てはめて導線を決定し移動させると思った以上にしょっぱくなるわけで、どこまで味付けをするのかは考え方によるといえばよるのだが。
 車を停めたのに背景が動いていること。
 いや、まぁ、これも結構大事な蔵六の意思表示のシーンなのに、それが走っているミニから飛び降りろってのはかなり難易度が高いよなぁ、とかギャグにしかなってないので。
 蔵六は極悪人だな。
 多分、原作未読だとしても、普通にカットのつながりを追うと、車を停めてあらためて走り出したかのような印象を抱かせかねない演出になっているわけだし。
 狙ってんのだろうね。
 蔵六の手が自動運転実験のドライバーのそれ。
 うーん、これはさすがに本気で狙ってるとしか思えないのだが。
 紗名に車のコントロールを奪われたシーンはさすがに笑いが声に出た。
 あそこはギャグシーンなんやね。
 加えてしろうと目にも分かりそうな疑い方。
 フェンダーミラー+エアバック装備(多分、衝突安全基準がどうとかいってた時期のはずなので最後期かと)のミニってあるのか?とか。
 少なくとも原作はサイドミラーだし。
 多分、車好きの者からすれば、何か語ってそうな気がする。(実際あるなら何も話題になってない気もするが。)
 お約束な王冠潰れ。
 アイテムの不整合が起こりそうなのがもっとも考えられそうでもっとも目に付きそうなのは蔵六が紗名にブレーンクロー(でいいのか?アレ)するシーンだろうと思う。
 基本的に王冠が潰れるか王冠が紗名の頭にめり込むか超能力でどうにかなっているかのどれかだろうと思われる。
 ある意味お約束だが、めでたくそういうカットを忍ばせるあたりがプロ意識を感じさせる。
 「被疑者」という発言。
 基本的な話として、少年法児童福祉法の関係から14歳に満たない者の刑罰法規に触れる行為があった/その疑いがある場合、その触法少年(もしくは加えて虞犯少年の一部)は被疑者とは呼ばないのは物書きであれば少なからず知っているはずで、原作にも「被疑者」という表現は一切なされていないのをあえて付け加えることをプロの高山氏が犯すとは思えない。
 そのため、原因として、多分、原作全体からキャラ(紗名たち)の設定を抽出し、それをストーリ全体にフィードバックしてしまっているからではないか、とか思ったりした。
 およそ、あの時点で署内において何一つ情報が得られていない(少なくとも年齢は分かっていない)状態であること、およびキャラ自体が早熟タイプではないため、常識的な範疇で14歳以上または20歳以上等だと断定するのとは逆に振れている(時事的な話でいうと20歳台との判断で容疑者の画像を公開したが13歳と判明し公開画像を削除したのと逆パターン)ところからして「被疑者」とは表現できないと考えられる。
 研究所の閉鎖後、あさひとよながはインターナショナルスクールに通い部活動を行っているところから推測して14歳前後という設定があらかじめ規定されていて、そこから再構成した可能性もなくはないかと考えたりした。(ただし、インターナショナルスクールが法的に義務教育の範疇に該当しないため、断定的であるわけでもないが)
 また、この周辺の扱いにおける考え方として、原作では多分意図して紗名たちが取調室にいないように描写されているのだが、原作の一部を改変した関係上、あさひとよながだけ触法調査が取調室以外の場所(原作と同じような長椅子があるところ。ただし、細かい話でいえば、一般的に触法少年の触法調査はオープンスペースでは行わないよう配慮することになっているため、背景にイベント案内とかが貼られている掲示板があるような他者が出入りする可能性のある場所で行うのは適切であるとはいえない。)で行われているにもかかわらず、紗名は取調室(机があるという意味では一致はするが)で触法調査されるという謎な状態になっていたりする。
 これは脚本レベルの話ではないが、一般に触法少年を取調室で質問するといった行為は行わない、とされる。
 「される」というのは、実際法律で具体的に定められているわけではないはずなのだが、少年法児童福祉法につらなる各種法令、自治体レベルの規程などでおおくくりに規定される内容から、できるかぎり使わない→会議室や事務室とかでどうにかやりくりする→少年課に隣接した少年補導室などの各種条件にそぐう場所を設定しそこで行う、など各種レベルは違えども可能な限り対応するようになっているはずではある。
 とはいえ、実のところこの程度のことを知っている者など腐るほどいるわけで、平気で「被疑者」と言い切れるような者が調査主任等であった場合、よく知らない子供相手だからと取調室に平気でぶっこむやろなぁ、という流れからの結果だとしたら、それはそれで嫌な意味で泥臭すぎて作品が別の方向にいってしまいそうな気はする。
 ちなみに、原作では蔵六はちゃんと交通違反切符が切られているが、こっち側は「罰金」が「チャラ」という二重のとんでもなさだったりするので、制作スタッフになんか警察に悪意でもあるんか、という気もしなくはない。
 双方、証拠が消えるという現象を扱っているのに変わりはないのだが、原作ではそのプロセスが暗示されているため、交通違反の表面的プロセス上、何らかの現認のみで蔵六が交通違反切符を切られていても不思議はないわけで、逆に言えば、分かりやすい事例として、現認以外物的証拠がまるでないという事態から『どうしても点数欲しけりゃ交通課で言ってくれや』ということばが意味を持つと思うのだが、別のものに差し替えられているのでどうもこうもない。
 あと、取調べの録画映像が時刻表示でないのはなんでなんやろね。
 証拠性から海外では年月日時分表記だったりするが。(国内の事例は知らない)
 原作にない部分をぶっこむ意味があったのかどうか、というところかと。
 ここに限らずその加除の多くにいえることだが。
 あと、全体的にキャラ設定がいじられている気がする。
 私は1巻ちょいぐらいしか読んでないので正しく表現できているかどうかは分からないが、原作は舞台設定や状況設定のうえにキャラが載って行動しているように一見思えるが、キャラ立ちさせるためにキャラ先っぽいアプローチも取られていて、その一見不整合を生みそうな箇所をキャラ同士のコミュニケーションにおける雰囲気において大きめの落差を持たせることで維持するという手法が取られていると思っていて、そういう意味からすれば、舞台設定や状況設定からキャラを再定義し直すと不整合に映る設定は削ぎ落とされ、話として整合はより取りやすくなるがキャラの魅力等は削ぎ落とされ、また特定キャラ同士のみで生成される雰囲気がなくなり他のシーンと均質化される結果を生んでいる気はする。
 キャラの再定義について思いあたったのは、先のコンビニのシーンと「被疑者」という表現から短絡的に結び付けただけなので眉唾モノかもしれないが、個人的に感じていた原作の魅力の1つを少なくとも潰しているかなぁ、という気はした。
 あ、よかったのはコンビニ店員に異常な愛が感じられて楽しめたことかな。
 露骨過ぎるのもなんだけど。




 とりあえず、ネタになってしまったとか、考えさせられたとか、ディスりたい(根本的に評価しないのは除く。よってここでディスっていようと基本的に続けて視聴する、いや正しくはレコに録画するつもりな水準以上を示す。)のはこれぐらい。
 あと、1話切りしたのは今のところ1本だけ。
 それとは別に、以下、かなりポジティブ側の短文感想。

 夏目友人帳 陸
 貴重なサトリナ成分。(多分第1話だけだろうけど)

 恋愛暴君
 若い子が古臭いって言ってたけど、私はこういうのが好き。(でもラス数話で鬱展開になったら嫌かも。)

 王室教師ハイネ
 なんとなく安心して見れそう。

 プリプリちぃちゃん!!
 これも、安心、、、、ん? 何、恥ずかしがってん!うわやめあqw


 というわけで、終わる。