教訓

 「タカタの巨大リコール 「教訓」置き去り (5/22 日本経済新聞)」という記事を読んでみた。
 で、『置き去り』というぐらいなので、『教訓』は何らかの形でオーソライズ(第三者機関などによって正当性が評価されたお墨付き、権威付け)がなされているんかなぁ、とか半ば冗談半分なのと、私自身が考えていたタカタ自体の問題というものではない一般化した「教訓っぽい何か」として考えていたことが語られていたりするかなぁ、経済紙だけに無理だろうなぁ、と半分思いながら有料部分をよんだのだが、まぁ、特に。
 というわけで、以下書く内容は、有料部分とはほとんど無関係で無料部分の情報だけで十分なので記事にしてみることにした、といえる。

 三菱の記事もまだ書ききってないのにこっちを書くのもなんだが、あまり触れてなかったのとでとりあえず、さらりと終わらせてみる、予定。
 で、触れていなかったのは、組織構造、企業体質に触れたくなかったから、というだけである。
 おわり。
 で、それはそれとして、現在の経済構造、社会構造におけるポテンシャルとして抽象的に捉えるとすると、私自身は、寡占、独占という構造に問題の大きな要因がある、と思っていた。
 とはいえ、これは、実のところリコールが起こらないことに寄与するわけではないように思う。
 さらに、思った以上にリコールの規模が大きいことを回避することにも寄与するわけではないようにも思う。
 唯一寄与するのは、巨大なリコールに発展する事案がある時点で表面的現象だけは散発的に確認できても、何がなにやら訳が分からない状態が長引くことに対して多くの選択肢が提供される可能性がある、その素地となる、ということだろうと思う。

 およそ、寡占、独占については、メリット、デメリットを含め、中学校あたりで普通に習うと思う。
 で、教科書的なデメリットは、主に企業間競争が少なくなることによる
 1) 価格の上昇
 2) 品質の低下
であると覚えさせられるのではないだろうか。
 ただ、当然ながら各国での法規制により実体験として1)、2)の特徴の双方を極端な形で認知できることは現在では非常にまれだと思える。
 また、世界中のどこかで熱狂的な好景気に沸いているなんていう状態はなく、企業があぶく銭をひょいひょい手に入れられる状況でもないため、より多くの利益を求めたい企業としては、企業にとってはそれなりにメリットの多い寡占、独占を希求するというのも当然の流れだと思う。
 規制する側である政府も税収などの面でその流れに抗うのも難しいわけで、先の1)、2)が起こらないような多様な防護策を打ちながらチキンレースを繰り広げている、というような気がしてならない。
 一方、およそ製品やサービスにおいて価格、品質、技術と3つの要素が重要だと掲げられることが多いが、先の1)、2)に技術が含まれないのは、昨今の産業構造として主に寡占、独占による事業規模が技術を内包することにおいてメリットとして働くからといえる。(一応、1)、2)に副次的にデメリット側に影響しているという考え方もなくはないが)
 また、寡占、独占と直接的に関係がなかったとしても、事業規模が洒落にならないほど大きくなると、いわゆる大企業の不祥事において、経済秩序を維持する意味で政府自体がその企業を潰せないと判断せざるを得ないため、自浄作用が働きづらく、また金銭的な融通のしやすさから過剰な弾力的対応によって問題として明るみに出るのが遅れたり、その初動の遅れから当該時点ですでに事態が過度に進行してしまっていて、結果被害を大きくするなんてことも多い。
 これは、技術においても同様で、技術者倫理の問題と一体不可分とはいえ、当該技術を技術的に多方面から再検証するなどといった現行技術へのフィードバックと新たな技術への昇華といったプロセスが金銭的な理由も含め内外からポジティブな圧力として寄与しないということがあろうと思う。
 また、実際に問題が起こる前までは、原則としてステークホルダにとってカネを生まない行為を企業に対して望まないわけで、薄利でギリギリどうにかやっている上場企業などからすれば、現実として完全な抑止力として寄与している気さえする。
 思った以上に遅々として技術革新が進まないといった成熟した状況下において、競合他社からの新しい技術による新しい製品でどんどん上書きされていく製品サイクルではない以上、競合他社が競合製品を製造、販売するために当該技術に対して常に多方面から検証と評価をし続けるという形態が先の抑止力によって自社では設置不可能な保護機能として働くのではないか、と思う。
 とはいえ、それをどうこういってもしょうがないのも事実で、たとえば同様な事件の顛末を参照すると、ファイアストンなどでは自前にこだわらずに何がなんでも原因を究明する姿勢を見せ、その結果をもって徐々に理解を得るとか、トヨタの件ではもはや技術力の優位云々についてどうこういうはなしではないので、組織という抽象的集合体ではなく、ひとと熱意という領域で説得するなどといった単純な経済論や技術論で語れる領域でないところで解決を図っている気もする。
 結局、難度がAからGを突き抜けて際限がなくなっていき、問題がある製品をどうこうする技術より事後対応のための全体的なマネジメント技術の方が重要視されるようになってくるのは本末転倒なのではないかと思う。
 そういう意味では、ある一定の寡占、独占を排除する方向性が本質的な問題に回帰できる一助となるのではないか、と思う。
 が、事業規模云々、という話に戻って堂々巡りなわけだが。

 で、当然ながら経済紙である以上、企業のメリットを一様に押しなべて潰してまでも寡占企業の製品不祥事や品質問題を食い止めるような論調にはなるはずもない、ということで、想定したとおりだった、というオチな話。