ぶっちゃけ関係ない?

 増田ネタ。
 タイトルがないので1行目を表示すると「全然ぶっちゃけてないのに「ぶっちゃけ」って言うやつ何なの?」とのこと。
 年寄りにとってみるとたとえ当該表現を使っていても捉えられ方が違うはずなため、意思伝達に対して適切なフィードバックができない可能性もなくはなく、『ぶっちゃけてない』というところから本来あるべき「ぶっちゃける」という事象がどのようなものを指すのか分からないこともあって、どう考えていいか悩ましい。
 そういう意味で、年寄りにとっちゃあ、ぶっちゃけ無関係だわな、と自身の中で切り捨ててしまう、というような表現が正しいのか、実はそんなものではないのか、というところが若者ことばの難しいところだとは思う。
 いずれにせよ、アイドルがそれを台本どおり発しようがOPに引きずられて女子中学生が発したことにされてしまおうが無関係に、それ相応に安定的に利用されている状態に対して意味が揺れるのは致し方ないことだとは思うが、なんとなく枕詞化してくると字面として残されている元のことばが持つ原義さえ失うこともままあるわけで、ここでいえば、さらにそれ以前の領域で共通認識に疑義がありそうなところがその悩ましさの理由、ともいえる。
 で、私も周囲の若い人たちがなにげなく使うため、移ってしまって流されるまま使っている感は強いのだが、あらためて検索してみてもその意味の確たるものはよく分からないという。
 「打ち明ける」がなまったものというのがググった感じ多いのだが、すでに行為のイメージとして「隠していたものを解き放つ」といったものが主体として機能しているような用例にはなっていない気はする。
 およそ、こういったものは、別の表現で言い換えてみてそれなりにしっくりくるか全然違うかで判別できるとは思うのだが、例えば、「今まで黙っていましたが、もう我慢ならないので言わせてもらえば」とか「私とあなただけの秘密の会話なので内密にお願いしたいのですが」とか「今まで秘密にしていたけど告白します、カミングアウトします」とか「自供する」とかいったもので置換できるかというと、それが成立することはかなり限られているのではないかと思う。
 で、私自身の脳内では、自身がそれを利用し始めるまでは、「要約すると」とか「端的にいうと」とか「簡単にいうと」といった意味にその修飾する内容そのものやことば使い、およびその生成プロセスが荒っぽく大雑把で丁寧さとは逆の勢いでどうにかしてしまった的な感情が付帯するものであるように思っていた。
 そして、今もそれとほぼ同じような意味として利用していることが多いように思う。
 個人的に、ほぼ同じような意味の表現として「有り体にいうと」というのもよく使うのだが、こちらは、包み隠さず言う、という意味ではなく、基本的には「世間一般で言うところの」という前置きに沿った要約として使っていることが多い。
 で、「ぶっちゃけ」とその使い分けが大きく異なるのは、要約のプロセスが勢いに任せている、もしくは勢いに任せないとそんな表現にはならないかもしれないがもうしょうがないのでそれでいいやっぽいのか、感情的にフラットな状態かの違いになるように思う。
 要は、後学のために具体例がほしいです、といったところ。


 コメにある『正直ベース』というのは、個人的に懐かしい。
 昔、「正直ベース」だけでなく「○○ベース」ということばを頻用する人がいたのだが、コメ主のとおり『正直ベースと言いながら普通に嘘をついている』というあたりは現象として同じだった。
 で、いろいろとその人の考え方を分析していると、「○○ベース」の「○○」というのは、「○○」が基点になっているだけで、「○○」そのものを表現していない、ということのようだった。
 そもそも「○○ベース」における「base」はその多くが和製英語らしく、たとえば「賃金ベース」という「base」の用い方は意味合いとして日本独自のものだったりする(wage baseとの扱いの違いという意味)ので、そもそも依拠する語源自体存在すると考える方がおかしいことも多いわけだが、「賃金ベース」という用語の扱いで考えてみると、「○○」にあたる部分が基本給だったり給与総額だったり報酬だったりと基点自体からしてグダグダな上に、さらにそれに加算したり減算したりして当人の頭の中にできあがった「なにか」を基準として別の何かを判断した結果だけ提示される、という解釈でとりあえずどうにかなる、というものとして受け止めていた。
 基本的に「base」には基礎と基準という意味があり、それゆえ双方が同時に機能するというイメージがあるわけだが、「ベース」となってしまうと基点程度ならまだしも場合によっては体のいい踊場のような通過点であって、少なからず共通認識が可能な基準たり得ないという思考、手法を弄する者も多い気がする。
 露骨なのは既に数値的ではなく意味自体が違っていたものとして、計画におけるベースラインのことを言っているのかと思ったら、計画段階というおおくくりの時系列的意味に過ぎなくてずっこけた(実際ずっこけたのはうちのボスでそれを話してもらっただけ)なんてのもあったりと意思疎通を図ろうとする上で「ベース」は危険なキーワードなんじゃないかと思ったりする。

 あと、「ある意味」「個人的に」、文中の「多分」「およそ」、文末の「考える」「思う」「感じる」は逃げ用語なので、挿入しているのはただの趣味だし、「ちなみに」「たとえば」、文中、文末の丸括弧はその周辺全体がチラ裏の中でもさらに純度の高いチラ裏という趣味領域なものなので、いらんといえばいらない。
 ただ、論理展開も結論も存在しないチラ裏だと何も残らないので、押して知るべし(「推」ではなく物理的に押さえると中が空洞だったりスカスカなことが分かるという造語)というところだと思う。
 「逆に」はどうなんだろう。
 読み方として逆のことを言いたいはずだが発言者の表現が追いついていないんだなぁ、と思って読むかどうか、というのが分かれ目な気はするのだが、「逆じゃないじゃん」とか「逆として理解するにはどう考えればいいのか、しこたまそこで悩むわ」とかなら、該当する節や文自体を飛ばして読む方が精神衛生上いいような気もする。
 私なんかは頭が悪いので、「逆に」としゃべり始めて、気がつけば元に戻ってるし!どうすんのこれ!とか思って「ゴメン、同じことやったわ」なんてボケネタにすらならないことを言ってへこむこともあったりするが、貴重な時間を無駄にさせやがって(ムカ#)、ぐらいで勘弁して欲しいなぁ、とか甘えたことを思ったり。
 さて、この記事は圧縮するとどの程度になるんだろう・・・・