いつものことば調査

 いつものことなのであれだけど、しょうもないツッコミを少しだけ。
 まず、「なし崩し」だけど・・・
 その意味がどうかより先に、調査の目的が『日本人の国語に関する意識や理解の現状について調査』するのはいいとして、『国語施策の立案に資する』のならば、立案、実施、効果の検証という意味でいけば、経年で比較可能であるべきな気がする。
 一応、この「どっちの意味かな?」というコーナーでは、経時的な(かなり長い間隔ではあるものの)調査になっているのはいるのだが、クイズ番組的に何か真新しそうなのを毎回1つ設問にぶっこまないといけないわけでもないだろうし、ぶっちゃけ増やしてどうする、という気がしてるので。
 まぁ、目的の最後には『国民の国語に関する興味・関心を喚起する』というものすごく範囲の広いものをぶっこんでるので、よほどのことがない限り目的を満たしてしまいはするのだが。
 で、その前提をうっちゃったとしても、個人的な認識でいうと、「なし崩し」の設問がかなり雑に思える。
 よく小学校の国語のテストなどで、「傍線部分の意味はなぁに?」という選択肢において、正解が分からなくても正答率を上げる方法の1つとして消去法がある。(何も大それたすごい話ではない)
 さらにその消去法の中の手段の1つとして、傍線部分を選択肢に入れ替えて心の中で読んでみる、そして違和感がある、例えば差し替えた前後に重複表現が現れることでくどいなどのあまりほめられない箇所がある場合、誤答の有力候補として挙げることができるといった、般的な小手先のテクニックである。
 で、ここでの設問を考えてみると、『例文:借金をなし崩しにする。』で「なし崩し」に傍線があり、選択肢は、『なかったことにすること』と『少しずつ返していくこと』である。
 傍線部分を前者に差し替えると、「借金をなかったことにすることにする。」になる。
 「する」が重複しているため誤答の可能性が高い、と判断してもいいように思える。(個人的にするする表現を頻用するが、それはおいといて)
 結果として『なかったことにすること』を選択した者が多く、加えてテクニカルな部分で選択肢として中立でない可能性があったことを考慮すると『なかったことにすること』のような概念で認識した者は実のところもっと多かったなんてこともありえるのかなぁ、とか。
 そういった意味で、雑かな、と。
 とはいえ、じゃあ中立になるような選択肢を設定できるのかというとかなり難しいようにも思う。
 先のテクニカルな部分に適合するように、前者の選択肢を変更すると「なかったこと」になるわけだけども、それはそれで選択肢を列記した状態であまりに収まりが悪いというのもあるわけで。
 要は、単に文法構造が全く同じで示す内容が違うだけというのではない、ということがあるのかなぁ、とか。
 ちゃんと文法的に説明はできないんだけども、まず、前者は状態を意味するように思う。
 例えば、「なし崩し「な状態」にする」という補足をしても成り立たないことはない。
 ところが、後者は動詞が名詞化し、さらにそれに「する」をつなげて再び動作を表す構造になっているように思う。
 一応、あまり用いられない表現ではある(近代文学あたりだとありそうではあるけど)が、遡って「なし崩す」と同じ意味をなすと考えていいように思う。
 そういった意味では「〜する」までで行動を示すことになる。
 とはいえ、「〜にする」という部分に前者の「なかったことにする」といった意思とか意思に基づく行動も含むと考えると適切に文法として分析しないと難しくなってくるかもしれないんだけど。
 ただ、後者の用い方では「な状態」という付加的な表現は多分無理だと思える。
 いずれにせよ、分かりやすい1つの認識方法はというと、「な状態」と補足すると後者はおよそ齟齬を生じるというより、先の「な状態」の部分を「的」とか「っぽい/っぽく」とかいった表現が付加されているような用例である場合は、前者として扱っていい気がする。(多分、例外も存在はするんだろうけど)
 それにしても、『借金をなし崩しにする。』なんてことばを使う(この表現はいつものとおり、以下同じ)とか聞く機会が一生にどの程度あるんだろうという気もする。
 個人的にいうと、「なし崩し」ということばが実際に発せられている状態を初めて認知したのは、半世紀ほども昔のことである。
 でもって、これがまたいずれにも属さない多分利用者の多くない表現で、「ここのピッチャー交代でなし崩しになった」というものだったりした。
 ここでの意味を私的に解釈(一応、その時観ていたニュースでの試合の結果とかから推測したわけだけども)するに、「総崩れになる」「ダメになる」「それまでの行為が無駄になる、なかったことになる」といった意味のように思えたものである。
 意味の取り違えというよりも単なる別の単語との誤用なのかどうかは今更確認するのも不可能なのだが、今思えば、なんとなくだが「崩れる」と「無し」の合成から生まれたっぽい気がする。
 ちなみに、今まで「なし」は「為し」だと思っていた。
 正しくは「済し」だそうな。
 きっと使うことのない無駄知識だろうな・・・すぐ忘れそう。
 というのも、金銭に限定して用いるだけではなくなってくると、読めないというのもあるかもしれないけど、「済す」と表現することが難しいということもあるかもしれない。
 個人的に「済す」って書かれると、文脈によるだろうけど、「わたす」って読みそう。(これはこれで片寄ってる気もするけど)
 まぁ、大抵は脱字で完了の意味の「すみ」なんだろうけど。
 で、脱線したが、「済す」をひらがな表記にすると、ことばの使用頻度から「無し」という意味として認知される可能性は高くなってくる。
 あと、そもそも「崩す」に現代で「少しずつ」といった含意は辞書的にはなかろうし、あったとしてもニュアンスレベルなんだろうと思う。
 また、ネガティブな意味ではないという解説がされているのを見かけるが、そもそも現代の表現の範疇で「崩」がポジティブなニュアンスとして語をなすことがまれ(というか、個人的にぱっと思いつかない)であろうところから、特定の成句のみポジティブ扱いするのを維持するのは難しい気はする。
 個人的には、多分死語になっている「○○くずれ」といったことば(山崩れとかそういうのではなく、○○には非常にネガティブで揶揄されるべき人物の属性が入り、およそ元○○とか○○っぽいんだけどさらに悪い方にこじらせたみたいな意の表現)と結びつくので、ポジティブな捉え方をするのは直感的に処理しづらかったりはする。
 結果的に、分解した部分の同音異義と意味の変化の頻度にひっぱられて誤用が発生するという非常に初歩的なものとして理解できるものだと思うし、また成句としても「少しずつ徐々にものごとを済ませていく」という意味ではない方の用例が、頻度として『慣用』なのか?という意味でも誤用待ったなしなところなのかもしれない。
 例えば、「会議がなし崩しに終わった」というような表現がきた場合、辞書的な意味から「少しずつ前進した」とか「地道で丁寧な説得が功を奏してよりよい合意形成が行えた」と捉えるより、現代の意味としての「無し」+「崩れ(ネガティブイメージ)」として「グダグダになった」とか「うやむやになった」とか「さしてはかばかしい結果も得られず流れた」というようなものとして捉えた方がいい、というのが、会議が議論し結論やよりよい方向性を導く場ではないような三流企業などに身を置いていると、適切な意思疎通が可能になるというだけであって、言語の適切性とか流動性とはすでに無関係な気はするけども。
 で、まぁ、一言で言い表すと、設問がひどい、という(さっきから表現がきつくなっているよ?)ことかなぁ、と。

 あと、采配を振るだけど。
 時代劇でも観ていればイメージはつかめそうな気はするんだけど、なんというか現代で実際に采配なんてのは使わないわけだし。
 というか、過去にも書いたかもしれないけど、「振る」ではなく「振るう」になってしまうのは、前者の所作がひとふりといったイメージであるのに対して、後者はバッサバッサとハエたたきかモップかなにかを使うようなせわしないイメージであるところから、過干渉的指示命令系統を表現するには後者がそぐうから、という気はする。
 まぁ、采配は指示棒でもなければ叱責するための道具でもないわけだが、そういう認知からすれば、どうなんだろうなぁ、とか。
 あたり構わずバサバサやってるのが社会的に大勢を占めるのなら、現実的に「振るう」で整合が取れていんじゃない?ってことで。
 でも、「振る」の比率増えるなぁ・・・あれ?