集団

 今日も自動車による不幸な事故があった。
 集団登校の列につっこむといういつもの事故である。
 事故の規模もさることながら、被害者がほぼ将来のある子供に限定的であるためセンセーショナルに扱われるせいか、それが悪意だったのか単なるミスだったのかということにまで情報がマスコミによって収集されやすい構造にあるとは思う。
 いずれにせよ、そういった複数人に被害が及ぶ無差別テロとしても手法として用いられるような状況を提供する集団登下校がそのリスクを保有してまで他の何らかのリスクの低減に大きく寄与することとてんびんにかけられた結果そうなってんのかなぁとか思ったりするのだが、それは決める人が決めることなのでどうこういう話ではないのだが。
 偶然にも今回の事案の道を昔の話ではあるが知っているのだが、駅周辺の渋滞の抜け道だとかその周辺の昔の道を知り尽くした者っぽい車が猛スピードで走っているようなところだったりするうえに、結構なアップダウンもある(大阪外大の丘に連なる裏側というと分かる人もいるかもしれない)ので歩行者や自転車は結構厳しい(というか、ぶっちゃけ危ないと思うことが多い)ところだった。
 数十年経って歩車分離の鋼製ポールでも設置しているのかと思えばそんなことはなく、昔とほとんど変わっていないのは、ノスタルジーがこれほど逆向きに作用することもないんじゃないだろうかとか思えたりする。
 こういう事案のたびに集団登下校のこういったリスクに勝る絶大なメリットって何なんだろう、とか思えたりする。
 手前味噌というか誰もが言いそうないっそスクールバスにしろというのが手っ取り早い気はするのだが、車両関連の規制とか交通規制なんかで簡単に導入できるわけではないし、通学路に対して車の迂回路が存在しないような場合には通行時間制限をかけにくいといえど、時間的に許可車両のみ通行可能にして根本的に車両数を減らすことも可能だと思うが、EUではそういった事例を結構みるものの、国内でまるっきり普及しないのは何かあるとみるべきなのかもしれない。

 どうでもいいが、歩車分離してもガードレールをぶちこわす勢いが車にあれば解決しないのは確かなのだが、とある教育関係者がガードレールの外側(いわゆる車道側)に出て歩くので歩車分離しても事故は防げない、と言っていたのを聞いて、いやいや、それは子供が自身の身を守るために体得する交通のきまりを教育しなければならないおまいさんの仕事やし、それをやってないとかやりたくないのがバレるのがそんなに嫌なんかなぁ?とか嘆息したことがあるのは、また何十年も前ではある。

 いずれにせよ、がんじがらめのシステムで生きさせられているわりには、ところどころにこういったような運みたいなトラップが設置されているちぐはぐさは何なんだろう、という気がする。
 当事者にとって「運」として諦められるわけは当然ないわけだし。