もともと低いことと下がること

 昔のログを漁っていたら「給料下げられた+モチベーション保つには」というキーワード(もはやGoogle検索は単語という領域を越えているので、〜ワードと言っていいか難しいが。)でここにアクセスしている人がいたっぽい。
 そんな話、書いたか?と思ったのだが、Googleさんはさすがに内容まで読んでいる(もちろんGoogleの中の人というソフトウェアが、である。)わけではないし、たとえ内容を読んで関連性が若干低くてもキーワードを打ち込んだ人の思惑がGoogle側で理解する分析的意味としての言語解釈とが一致するわけでもないためそれなりに幅を持たせて表示しているだろうし、ある意味致し方ない。
 で、以前書いたのは「給料が『低い』場合でのモチベーション」であり、この問いとしては「給料が『下がった』場合でのモチベーション」である。

 算数の世界から考えれば、結果の数字だけを追えばいいわけで、たとえ下がろうともとから低い者よりも多い、少ないなどという比較が可能ではある。
 しかしながら、給料というのは思った以上に簡単なものではない。
 例えば住宅ローンや自動車ローンなどの構造やクレジットカードなどの運用などを考えてみても分かるように終身雇用で年功序列的で給料が平均的な右肩上がりとあらかじめ設定した収入モデルに対して、未来においていかに合致するかを確率的に与信したことに伴う予約システムと考えてもいいようなシステムが存在していると思う。
 このような外部的なシステムの話をするとそういったサービスが使えなくなるのはしかたがない、と納得してもらえることも多いが、問題なのは、そういったシステムが安定した社会の上に成り立つことを前提としてある意味思想的に社会全体を覆っているため、個人の考え方さえも同様な指向性を持つことであろう。
 下世話な言い方をするならば、売上、利益が減ることで品質を落としたり、コストを切っていくことに余念はないが、自らの収入が減ることで自らの(もしくは自らの家庭の)生活の質を容赦なく下げたり、支出を生む事案を即刻叩き潰していくことはかなりためらわれるし、またそこまでの覚悟が持てない、ひどい場合は意識が回らない、そういうことを行うこと自体間違っていると思ってしまうということである。
 個人事業主の場合はその対象が一致する傾向にあるのであまり異なってしまうことは少ないと思われるが、いわゆるサラリーマンや被扶養者、非就労者においては、こういった考え方をする者も少なくない。
 また、個人の資質にかかわらず、周囲の問題などから解決を図ることができずズルズルと放置すれば、増えるのは給料ではなく借金と身近な者の不満だけが増えていくことになりかねない。
 加えて、給料が下がったことで職場における精神状態が極端に改善され、金銭的な問題は別として健康で文化的な生活が見えてきたなんてことは一般的にあるのかというと、ありはするが極少数だろうと思う。
 それも転職ではなく同じ社内であった場合はさらにその数は減るだろうと思われる。
 およそ給料が下がった者の社内的な立場としては、会社の業績が悪いことのスケープゴートにされるだの、何かのプロジェクトの詰め腹を切らされるなどといった安寧などとは真逆の状況となっていると思われる。
 そんな立ち位置から形作られる精神状態で仕事と家庭で敗戦処理に近い行動を精力的に行うことは並大抵のことではない。
 さらに、経験した者なら分かるかも知れないが、下がった給料に追い討ちをかけるように税金が重くのしかかる。
 これも先の永続性に頼るシステムに起因するものの例だとは思うが、昨年度の収入をベースに税額が計算されるために結構とんでもないことが起こる。
 私の場合、固定給が変わったわけではないが、あるとき1/3に給与総額(税などの天引きなしの額)が減少したことがあり、このときは手取りが数万円になった。
 一人身だったので問題はなかったが、家族がいればそれはそれで大問題になっていたことだろうと思われる。
 このようにもとから給料が少ないことと給料が下がったこととのその後の置かれる立場と精神状態はかなり違っているため、同じ金額の労働者として単純に比較できるものではないと考える。
 そんな状況下でさらに「モチベーション保つ」ことができるのなら、某団体のおっさんにこっそり教えてあげて欲しい。
 政府から給料を上げて欲しいと頼まれても笑いながらどんどん下げると思うので。
 まぁ、それはそれとして、こういったときには、一部の特殊事例を除きモチベーションなんて保てるわけもないし、自らの精神的、肉体的負荷を考えると保とうとすること自体が間違っているとさえ個人的には思っているので、別のサイトにいったほうがよい(多分、ここまで読むまでもなく情報を欲していた者からすれば既にブラウザを閉じているとは思うが。)と思うし、私が知らないだけで参考になる情報も存在するのかもしれない。
 ただ経験上言えるとすれば、こういったときには、できないことを悩むよりできることは何かをよく考えてそれを積み上げていった方が気持ち的に楽だったように思う。
 これは私がつらいときや苦しいとき、焦っているときの判断というのはおおよそ間違っている、もしくはその確率が格段に高くなるという気質に起因するもので万人向けではないかも知れないが、一つの選択肢として利用できるかもしれないかとは思う。
 ただ、たとえ有効な手段たりえても、当然のことながらモチベーションは保たれてはいないわけだが。