百貨店

 某店舗が百貨店という名前を取り下げて幾星霜、百貨店をネタにするときに某店舗を口に出すことでボケることが不可能になってしまった。
 ただ、時事的な意味で成立しなくなったというだけで、『百貨』に込めた意味を考えれば、それなりに含蓄のある内容ではある。

 そもそも百貨店というのは、フランスの「ボン・マルシェ」が始まりとされ、出入り自由、陳列販売、正札販売、返品自由などの取引条件と低マージン・高回転率販売という近代的小売販売方式を採用し、その後取り扱い品目を増やすことで総合大型小売店という形態をとったことが特徴とされる。
 名前など具体的な部分まで出てきたかどうかは覚えていないが、高校辺りで習ったのは、産業革命により労働者が都市に集中するようになり、大量生産とその消費スタイルに対応する薄利多売、ワンストップ型の新たな小売形態が登場した的な話ぐらいであったかのようには思う。
 一方、日本においては、明治初期から殖産興業の一環として開設された勧工場(かんこうば)がそのはしりとして挙げることもできるが、現存する百貨店は明治後期に業態転換した老舗の呉服店を祖にもつものが多い。(三越、そごう、東急(白木屋)、郄島屋など。新しいところでは電鉄系もある。)
 小売の歴史などはかなり詳細に分析されているのであえて大雑把な書き方をする必要はないかとは思うが、およそ、設立時当初の双方の大きな違いは、産業構造の変化に伴い新たに生み出された消費、消費者に低価格、高効率から切り込んだことと呉服店の既存顧客という富裕層に対して呉服以外のものを買わせることというところにあると思われる。
 ただ、国内の百貨店の設立時期から考えれば、欧米において百貨店が高級路線に振れている時期であるため、時間的断面で見れば表面的に同じように映ったかも知れないが。
 さて、戦後において百貨店に大きな影響をもたらしたのは、いつもの法律からもっていくパターンでいくと、百貨店法と大店法であろう。
 双方既に廃止された法律である。
 また、双方今から考えれば、非常に皮肉な法律であった。
 目的を抜粋すると、百貨店法は『この法律は、百貨店業の事業活動を調整することにより、中小商業の事業活動の機会を確保し、商業の正常な発達を図り、もつて国民経済の健全な進展に資することを目的とする。』、大店法は『この法律は、消費者の利益の保護に配慮しつつ、大規模小売店舗における小売業の事業活動を調整することにより、その周辺の中小小売業の事業活動の機会を適正に確保し、小売業の正常な発達を図り、もつて国民経済の健全な進展に資することを目的とする。』である。
 文言だけを見ると、百貨店のような形態が市場を大きく撹乱するため押さえ込むようなもののように見えなくはない。
 しかしながら、百貨店法では新興業態のスーパーマーケットなどによる擬似百貨店(フロアごとに運営会社を分けるなどの脱法店舗運営形態)を生み、大店法では中小小売業の正常な発達というよりは既得権益の保護に用いるツールとして扱われることが多く、結果的に百貨店はいわば法的に規制業態となっていることに受動的に対応してきた結果として現在の形があると考えていいのではないとかと思う。
 逆に言えば、百貨店という販売形態を維持するための「場」に関して、法によって、別の意味で『調整』するという既得権益の相互不可侵的な構造が維持されてきたからこそ、10年ほど前までほぼ同様の業態を維持していたとも言える。

 で、元ネタとしようと思った増田は、「百貨店」なのだが、多分、この3行目ぐらいまでを若干膨らませると上記のような感じになるのではないかと思う。(私の大雑把な知識からすればこの程度しか書けないが。)
 しかしながら、その後の3行『ただ、私が言いたのは、みんなもっと百貨店に足を伸ばそうという事だ 事実として金額が多少高価な面はある/しかしながら、そこらに乱立している大型SC(特にAEON系)とは異なる、所謂荘厳な雰囲気の中で買い物をするのが/実に心地良いじゃないか』はいささか端折りすぎではなかろうかと思う。
 もしくは、意図したミスディレクションかも知れないが。
 要は百貨店の現状を踏まえた強みの分析を5F分析(競合他社に対して「業界内の競合(他社の競争力や競合状況など)」「新規参入の脅威(競合他社が倒れても第二第三の云々)」「代替品の脅威(パチモノなどに限らず、そろばん→電卓のような別のものへの移行や消滅する、不要になる場合なども含む)」「売り手の交渉力(製品などにおける上流側との力関係)」「買い手の交渉力(製品などの下流側(中間製品でなければ主に消費者)との力関係)」)なりポジショニングマップ(多分名前は知らなくても見たことはあるポピュラーな図法)なりで行った結果から導いているのかどうかというと、そうではないだろう、というところにある。
 言い方を変えれば、そういった使い古された手法(先のフレームワークなど)で分析して解答が出るのであれば、そもそも『苦境』に立たされることもない。
 もはや『実に心地良い』という機軸を設定しないことには差別化が図れない事態になっているのではないかと勘ぐりたくなる。

 個人的に百貨店の価値は、幼少期にはワンストップであることと場としての特別感であった。
 ワンストップというのは、自らが購買層ではない(そもそもカネが与えられていない)ため、私を百貨店に連れて行った者にとってワンストップであることを指す。
 目的のために長時間や五月雨式に場所を移動することが好きではなく、どちらかといえば同じ場所に長時間とどまっていたい方だったので、私を百貨店に連れて行った者が同一箇所(同一建物内)に長時間滞留することはありがたかった。
 場としての特別感は普段見ることのできないような商品が置いてあること、ローカルな話だが、百貨店に隣接して残る低いテント屋根の小汚く闇市っぽい商店街が、周囲が田園ばかりの田舎者としてはワクワクしたものである。
 社会人になってからの価値としては、都会に勤務していたころは共有されたブランドを通じた関係性の構築に用いるツールであった。
 たとえば、みやげものなどの紙袋や包装紙を記号として双方が価値を認知するところを基点とする場合などである。
 以上3点について考えてみると、まずワンストップに関して言えば、スーパーセンターが同様の機能を有する。
 また大店法の規制下でも、郊外型ロードサイドの商業密集地などは、百貨店を常用するような層ではない者にとって重宝したものである。
 場としての特別感に関して言えば千差万別であろうが、購買層としてのワクワク感ではなく、購買層に連れられてきた者にとってのワクワク感であるため、現在においてはこれもスーパーセンターの方が一日の長があろう。
 また、購買層に連れられてきた者はカネを生まないため、百貨店側が距離を置いていった前例から、簡単には方向転換できないとは思われる。
 さらに、ネットが当たり前になる以前から地方都市などで百貨店が担っていたファッションリーダー的存在意義は希薄になっており、ネットが常用されるようになって以降はほとんど意味を失ってしまったと思われる。
 視覚、聴覚に関しては原則として所有するしないの別を除き場所を選ばなくなってしまって、その領域で差別化するためにはかなり大変な労力を用いてブランディングを行っている(さらにたとえ行っても報われるとは限らない)ことからすれば、こういったワクワク感をその場のみで醸成するには時代が許さないと考える。
 共有されたブランドという点においては、価値の多様化、均質化によってブランドという価値が薄まってしまった関係上、とりあえず百貨店で購入しておけば無難、というレベルさえ底抜けしてしまって、複数ある選択肢の1つに過ぎなくなったように感じる。
 また、そごうの破綻問題も遠縁であると私は考えている(詳しくはいろいろと面倒なので書かない)のだが、百貨店が地元の経済に貢献している資本であるという認識がかなり薄くなっているように感じるため、そういう部分に敏感な者に対しては、逆に選択肢から外れる事態(こういう場合は地元の単独店舗の方がウケがよい)にもつながっているように感じる。
 結局のところ、コメにも各人が書いているように百貨店に求めていたもの、もしくは百貨店をほとんど利用したことのない若者が百貨店が唯一の選択肢であると感じるものが私も思い及ばないのが現状といえる。


 あと、『みんなは一体何を求め、大型SCへ行くのだろう』という問いに対して、逆に「一体何を求め、百貨店に行かなければならないのだろう」と問いたい。
 個人的な昨今の経験から言うと、とても『荘厳な雰囲気』とは言いがたい喧騒の中、大声でまくし立てる外国語だけが聞こえる状況では、明らかに自分が相手にされていないとしか感じられない。
 比較対象としておかしいかも知れないが、よほど新世界城の方が『客層は良い』ように感じる。
 とはいえ、日銭を稼ぐために汲々とするがゆえの事態とも言えなくもない。
 インバウンドなどと崇め奉っていたただの訪日観光客の需要が減っただけでどんどん店をたたんでいく(因果関係はわからないが)様を見るに金銭的な面も含め耐力がなくなっているように感じる。
 そういう意味で、消費者側は百貨店に多くを望めないし、逆に百貨店側も消費者に多くを望むのは無理がある、悪い言い方をすれば虫がよすぎるような気がしてならない。
 まぁ、それもひっくるめてつりネタなのかも知れないが。