先週金曜のWBS

 神鋼の件自体は別として、会見に参加した大浜キャスターの感想として『今日の会見の中ではっきり言っていたのは、収益性であったり効率性ばかりに目が行って、現場が不正を働かないといけないような状況になっているということに気が付かなかったんだというんですね。これ、はっきり言われると正直ショック』と表現していたのだが、はたしてその『ショック』とはどういったものか?というのに興味があったりする。
 この発言に大浜キャスターが続けたのは、競争力と信頼性についてなので、そういった観点から想像できなくはないのだが、「けれども」という逆接の接続助詞でつながっているので、単純に深掘りしたわけではないことから、何ともいえない気もする。
 今回の大浜キャスターの発言にかかわらず、先の三菱の件以前のリコール隠し(トラックの件あたり)とかでも、既に『ショック』と感想を漏らしている者が一定数いたように思う。
 ただ、それには、名の知れた企業がやらかしたことに、であったり、経済的な影響や風評なども加味したいわゆる「安心」という領域をも含む信頼性ということに、であったりというところから始まって、システム論、組織論、教育論などのある程度定性的で抽象的なものにおけるアプローチの間違いや限界に、であったり、行動学的、心理学的な具体的事象が影響を及ぼした根幹の齟齬や誤りに、であったり、国際競争力とか国としての国際的な政治的、経済的、社会的、文化的などの影響を考慮した上でのつまづきや敗退に、といった領域というのも考えられるわけで、範囲は広いと思える。
 とはいえ、『ショック』ですね、という状態で投げっぱなしにしてしまうと、企業、組織内において、社員を鼓舞したり、社員が努力したりすること全体をネガディブ側に割り付ける(場合によっては悪だと断じる)という非常に表面的でいかに易きに流れるか(よくいう安きではないというダジャレ)という論法であると捉えられかねない。(人間工学上、使命が易ければ不正やミスが起こりにくくなるわけではないので、多くの場合、一応正しくないといっていいとは思うのだが)
 ただ、掘り下げれば掘り下げるほど、公共性という観点から不穏当になっていくのは確かなわけで、視聴者が感じている『ショック』と大浜キャスターが会見場で感じた『ショック』を一致させることに心血を注ぐよりは、あなたの『ショック』がまさしく『ショック』であるというように理解せしめる報道手法というのもあっていいようにも思ったり。
 個人的には、国際的な競争の中で収益性や効率性を求めるのが国内企業だけに限られるわけではないし、収益性や効率性を求める世界各国の企業が一律に不正を働いてどんどんマスコミにネタを提供しているわけでもないし、ある意味それなりのバイアスがかかっているとはいえ、不祥事に際して収益性や効率性を求めていたことを激しく強調する割には、国内の労働生産性が低いという各点を単純に線で結べないこと、そしてなぜかそれに言及されることがほとんどないことに対して、どこかしらかで何らかの忖度が必要とされている結果なのか、それとも私があまりに馬鹿すぎるのか、ますます恐ろしくなることに『ショック』だったりするのだが、それとは別に、くだんの企業に対して風が吹けばレベルに遠縁の知り合いが、くだんの件に一言「正直どうでもいい」と苦笑いしながらも吐き捨てたのは、それはそれで世知辛すぎて『ショック』だったりした。