朝OK 夜OK


よく切れる

 先日の云々な件で思い出したのは、くだんの件が事実と一致するかどうかは無関係だけども、高校時代に聞いた「よく切れる刃物は何でもよく切れる」というものだったりする。
 確か、何かの全校集会での校長先生か誰かの話という一般的に至極つまらないとされる場面だったと思う。
 みごとな重複表現なので故事成語とかではないんだろうけども、直接的な意味としては、本来目的としていないものまで切れてしまうよ、ということである。(どうでもいいが、先述のくだんは過去にも書いたけど妖怪のようなものを指すので重複表現じゃないっす。個人的表現だけど)
 で、「本来目的としていないものまで切れる」ことを刃物がヒトの活動や能力、地位などに置き換えた時に、ポジティブな捉え方をすると、他者をよりよい方向に導く力であったり、誰もが解決しえなかった課題を突破する力だったりするわけだけども、ネガティブに捉えると、自らが企図する適切ではないものに他者を巻き込むことだとか、多くの者がその能力を持っておらず、その権限もなく、かつその内容を認識できないものに関して自らが持つ力を用いて適切ではない行為をはたらくことだとかになる。
 常識的な範疇として、およそ前者にはよりプラス側に寄与するためにその刃物であるがゆえの強い実行力が求められるし、後者の場合はマイナス側に振れないために同様にその刃物であるがゆえの他者が持ちえず実行することが難しい強い自制心が求められるということになる。
 後者に関して使い古されたことばで言えば、いわゆる技術者倫理といわれる領域の一つで、過去の一連のデータ改竄といった不祥事などの事例が当てはまるように思う。
 これが個人的に頭に残っているのは、私がその属性ではないという進学校での超底辺だったがゆえなのかもしれないけども、私のようなものには考えも及ばないような領域に関しての自制心だとか熟考だとか適切な結果を生む判断とかが上層に属する者には求められるんだなぁ、と感心してしまったことによる。
 ただ、実際のところはというと、当時はそういった部分を私が知ったからといって自身が担わなくていいよ、と言ってくれている気がして安堵していたというのが実状だったりしたわけだけども。
 でもって、その考えがかなり甘いことには、底辺は底辺なりに必要とされるものは存在するし、存在を認知すればするほどちゃんと苦しいってことが歳を重ねると分かるというクソさ加減にうんざりするわけだけども。

 それはそれとして。
 くだんの件は、その適切性がどうのというのは置いておくとして、個人的には金額が市場価値と整合してないんじゃないかなぁ、と思った関係で、報道だけが先行する中何となくうそ臭いと感じてるんだけども。
 個人的には、企業などの社会システムとは全く異なる構造において、当該システムに反映されることが比して期待できないと思っている(面倒なので主語がない)ため、事実には正直興味がないというか、まぁ、どうでもいいぐらいな受け取り方をしている方が自ら無駄な負の感情を抱かずに済むと思っているけども、仮にそういった事案が発生するリスクを考えた際のリスク低減とは何があるのか?という部分の1つにはなるのかなぁ、とか思ったりした。