朝OK 夜OK


二重否定

 増田で、『悪い子じゃないんだけど、を枕詞にして語る誰かの話なんて悪口でしかないとは思うのだが、』云々というのがあったのだけども、レスのレスに『あっ、タイトルしか読まない人だ。』というのがあって少しおもしろいなと思ったので。
 一般的に「ない」+否定を意味する接続詞や句のあとに来るのは、「ない」の前と相反する内容が来る。
 しかしながら、例えば、私が頻用する「なくはない」といった二重否定表現のようなものも含め、単純な裏表の入れ替わりで示される全称性を必ずしも持っているわけではない。
 個人的には、全称性を持たないことを想起させるためにたいてい用いてるし、また、他の文章で同様な表現に出くわしても、そのように用いられていることが多い気がする。
 先の「ない」に否定でつなげる形式は、厳密には二重否定表現ではないのだろうけども、「悪い子じゃないんだけど、○○だ。」と「いい子なんだけど、○○だ。」が個々の認識の差はあるとはいえ、同一の内容を想起しないことが多かったりするのは、単に経験上、言語で表現する具体的事象の多くが全称性を持たない(一応、あるある、で流せるような場合なんかだとその有無自体どうでもいいのだが)ために獲得される理解の幅なのだとは思う。
 そして、またそれは、言語の柔軟性でもあるとは思う。
 ただし、こう言った点を示すことで日本語が論理的思考に適合しない言語であるというのは、個人的に違っているんじゃないかなとも思う。
 おおよそ、そういった者の話を聞くと、論理的思考に適合する言語は英語だと考えているようなのだが、「なくはない」の単語をばらして英訳して連結しても適切な表現にならないだけで同様な意味合いを持つ表現は存在したりする。(英語ができない人なので本当に正しい例なのかどうかは分からないが、例えば「That's not true.」なんかは、全称性を持っていると捉えない方がいいと思う)
 話がそれたが、結局のところ、文章として書き起こしてしまうと、単なる修辞的手法の1つでしかないということになる。(口語はまた別の因子も考量する必要があるためここでは考えない)
 で、修辞的手法というのは形式化されることによって、それなりのお約束ができあがってしまうために、今回のような場合では、文章全体の構成を予想できてしまう。
 こういった想定というのは特に珍しいものではなく、およそ小学校の国語のテスト問題を解く際に用いるような簡易なテクニックであるし、そうでなくても、深度の差こそあれ、経験的に獲得されることが多いように思う。
 といったところで件の内容に戻ると、冒頭でレトリックを用い、さらには『悪口でしかない』という後述される内容の予想を意図的に文章中に明記した上で、長文を連ねるという文章構成をしている。
 ただ、そこには冒頭のレトリックとは別の異なる解読者へのアプローチがなされているような気がする。
 個人的に感じたのは、解読者に対して意図的に読ませようとしない、もしくは意図的に後述の文章により解読者が当初描いた予想を変化させるのではなく固定化させる、先入観の強化といった手法が用いられている気がした。
 前者は、『悪口でしかないとは思うの『だが』』となっているはずなのだが、後に続くふりこのような表現が内容を追うことをあきらめてしまう(もしくはその意識が低下する)ようなケースで、逡巡するありさまを表現しているのかもしれないが、相手に別の意図を持たせてしまうという問題をはらむ諸刃の剣だといえなくもない。
 ものごとの説明を行う際に、結論から先にいえ、みたいな公理を示されることも多いが、結論や断定の後ろ側に逡巡するような内容を持ってくると、受け手の人(論理性とかではなくて主にその人の性格な気もするが)によっては先に提示した結論や断定を無視し始めるとか、単純に不機嫌になったりするとか、学生などにおいていえば、長い校長の話が頭に残らないといったものも、記述したものを分析してみると似た構造だったりすることは少なくない。
 後者は、冒頭の修辞的表現の影響範囲が長すぎることで、解読者による事前の予想と解読対象との参照を繰り返すために、繰り返し学習による短期的な強化が行われた可能性がある(単純な例として「ひらやま」を10回言うといったものも含まれる)といったものが考えられる。
 また、冒頭の修辞的表現を読んだ時点で先の『だが』を脱落したまま予想を行っていた場合、解読者の確証バイアスを強くするだけの長さはあるようにも思える。
 元のレスの人は『刑事の記事であったな/根がいい人は茎や葉や実は毒で毒草だと』という表現が、本体の刑事の記事というのを参照できないので適切かどうかは不明だが『得体が知れない。』と表現する増田という観測点ではない別の観測点から観察した場合には、悪いと断じることが可能であるということなのか、斜め読みで先入観が強化された結果、冒頭以降大胆に読み飛ばしたような引用になったのか。
 また、同様にレスのレスの人は、引用の適合性を考慮したのか、冒頭のレトリック上の観点からそう表現しただけなのか、はたまた別の理由で確証バイアスに陥った結果なのか。
 文章の内容とは全く関係ないけど、なんか興味深かった。
 文章全体が何かのパロディなら知らんけど。