昨日のWBS

 なんか、最近いつも書いている気がするが、サントリーの回し者ではないです。
 と、お約束的表現は終わるとして、「BOSS LATTE BASE」の多分限定フレバー扱いになるんじゃないかと思われる「スイートメープル」が5/30に発売されるらしい。
 5/24のオフィシャルリリースによると、フルグラとは単純なタイアップではなくて、『共同開発』とあるところからすると、販売面だけに留まらない意欲が感じられると思う。
 それにしても、発売当初はさっさと終売してしまいそうな気がしたが、名前を変え、売り方を変え、と、結構力が入っているのが見て取れて、瞬間的に売れなきゃその時点で根本的に終了という昨今の風潮ではなく、商品を育てていこうという考え方に素直にすごいなぁ、と感心する。
 今回驚いたのは、私が過去にも書いてきた、使用用途に伴う行為として「混ぜる」「溶かす」に注目してきたのだが、番組によると、どうやら市場調査では「かける」という行為をもたらす使用用途というのが多いことから今回のタイアップと商品開発に至ったということらしい。
 多分、こういうのは机上でどうこう自分勝手に考えていても出てこない発想だろうし、私のようにさらっとした液状のものがかけられている状態とそれが味の一部、もしくはアクセントとして寄与していても強い関連性で結びつけて考えられないためにそういった料理手法を自ら取り入れることを避ける傾向にある(そういう意味では某海外料理なんかは苦手)とかだと、無意識のうちに選択肢を除外してしまっているように思う。
 前回の記事で取り上げた限定フレバーの「くちどけショコラ」に原材料としてチョコレート成分ないじゃん!とか書いたが、実際単にミルクで割るだけといった利用方法ではなく、なにかにかけるような利用方法であれば、かけたものを単体で認知できなくてもかけた本体のアクセントとかになっていれば全体としてOKということになるんじゃなかったろうか、とか思ったが、もはやそれは手元にない(というかとうの昔に飲みきった)ので試せない。
 「スイートメープル」も実は原材料にはちみつが入ってないなんてことがあるかもしれない(試食した記者があっさりしているというところからして、甘さという部分だけでなくはちみつの濃厚さを想像して食すとそうでもなかったという意味にもとれるので)のだが、そういった意味で同様にミルクと混ぜるだけで単純にメープルラテになることを想定して作られたものではない、という考え方をして食すのが開発時の作りこみに対する設定した領域なのかもしれない、という気がした。
 というか、ぶっちゃけ私自身にはフルグラ自体むちゃくちゃ甘いと思っているので、定番商品の無糖を混ぜた方がいいんじゃないかとか思ったりもしたが、せっかくなのでいつか実験できればいいなぁ、とか思った。(ちなみに、あくまで感覚の話で、食べ比べたわけでもないのだが、日清系列のごろっとの方がさらに甘いと思っていたりはする)
 まぁ、それ以前にいつものごとく手に入れられるかどうかが問題だったりはするのだが。
 定番商品の無糖と微糖(正しくは甘さ控えめ)は棚を割いてもらえている近くの店も増えてきたが、発売日にちゃんと限定商品が置いてあるのを見つけられたことがない(実際入荷しなかった可能性もなくはない)のも悲しい現実だったりするし。

 あと、種子法廃止の話。
 個人的には、ここのところワイドショーなどで取り上げられている国内問題よりもよほど重要な案件「だった」気はするが、まぁ、それも主権が国民にあるということからすれば、自業自得だと自らを戒めるよりほかない。
 なんとなく番組の構成が芝居がかったうそ臭い単純な構図に当てはめている感も強かったが、全く報道しないという謎な権利を発動させるよりかはいいんじゃないかとは思う。
 というか、個人的には、農薬、種苗事業を主体とする、もしくは大きなシェアをもつ企業がその事業構造の変化からより規模を求め始めたころに、段階的にやめるとか、国民の生存を担保する目的として、法制定当時の目的を変更してでも何があっても国策として維持するとかがあるべきだったわけで、結局だらだらと数十年放置した挙句、どこかでそのどちらの選択肢も選べない状態になった上で現実との乖離やその乖離につけ込む圧力団体等によりいつかどこかでバンザイするしかない、というのが単に今だった、という気もする。
 まぁ、昔から危険性を唱えていた者は、単に品種作出のカネが税金でまかなわれているから競争力があるとか高品質な種籾を得るためにそれを補助金でまかなえないから競争力がなくなるとかいうことが根源的な問題ではない(問題がそこにしかないならば、民間活力がどうのという話ですぐに終わってしまう)と言ってきた訳だが、そこに踏み込むのはさすがに無理があった、ということだろうと思う。(コメントしていた大学教授がどこまで言いたかったのか、どこまで言ってカットされたのかはわからないが。)
 個人的なこじつけではあるが、単なる一消費者に対して直感的にアピールするために種子法があったから今の穀物文化、流通、価格、多様性が維持されているという話にもっていこうとすると、偽装問題が頻発する実態から派生して別にどうでもいい、と思われる状況にあることも、重要性を説く以前に関心を持ってもらうこと自体を阻害しているように思う。
 なるようにしかならん、という観点で、ブランド米など数年来食ったことのない私などのような属性の者が考えるとすれば、ブランド米の値段が上がろうが知ったこっちゃない、でも便乗値上げは勘弁やで、ぐらい何も考えない方が精神衛生上いいのかもしれない。